格差の拡大で没落する中間層
いまの日本社会の最大の問題は、経済格差の耐え難いほどの拡大である。かつての平等社会の姿は、いまや跡形もない。
格差を原因にして、国民の間に分断を起こしている。カネをめぐって醜く争い合い、互いに憎み合っている。これでは、人々の心を荒廃させる。これでは、農村のような協同社会は成り立たない。社会は崩壊する。
その原因は、生産構造の中にある。市場原理主義を基礎におく資本主義の生産構造にある。人々は、俺ダケ、金ダケ、今ダケという市場原理主義を信奉して、生産の場面にいる。その結果が、経済格差の拡大である。
市場原理主義によって経済が発展する、というのだが、事実はそうなっていない。そこには、労働の喜びがない。
人は何のために働くか。3ダケ主義を信奉していたのでは、社会は発展しないし、明るい未来もない。人間の心を蝕むだけだ。
市場原理主義が続くかぎり、経済格差は今後もますます拡大するだろう。このことを見ておこう。
上の図は、世帯間にある所得格差の最近の現状である。2017年の状態を、以前の1981年の状態と比較した図である。横軸は世帯ごとの年間実質所得金額で、縦軸はその金額以下の世数割合である。所得金額には、各種補助金など、再配分の金額は含めていない。生産段階で受け取る、当初の所得金額である。
この図で示したように、平均所得は580万円から435万円に激減した。4分の1減って、4分の3になった。これまでの市場原理主義政治の結果である。このこと自体が、目を覆いたくなるような無残な事態である。実際に、ほとんどの政治家や学者は、目を覆っている。だが、この点は別稿に譲ろう。
ここでは、中間層の割合を比較しよう。やや恣意的ではあるが、中間層を平均所得の半分以上で、2倍以下とした。恣意的ではあるが、結論を覆すほどではない。
中間層でない世帯をみよう。所得が平均の半分以下の世帯数の割合は、26%から43%に増えた。また、2倍以上の世帯数の割合も、4%から15%に増えた。その結果、中間層は激しく痩せ細って、70%から42%に激減した。所得格差が拡大したことが見て取れる。
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以前は、分厚い中間層の存在が、日本の民主主義を支えていた。そういう時代があった。しかし今は、その影もない。経済格差が拡大し、経済民主主義は崩壊してしまった。第2次大戦後の民主主義の土台をを支えた経済民主主義は、崩れ去った。
戦後の経済民主主義は、経済を支えただけではない。日本の民主主義を支えた。それだけではない。人々は、明るい未来を見通していた。
しかし、今や人心は紊乱し、国家の根本を掘り崩すように、民主主義は、崩壊の危機にある。
どうすればいいか。
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所得を再配分すればいい、という考えがある。いったん配分したものを、その後で配分し直す、というのである。
だがこれは、当面の苦境を糊塗するための弥縫策にすぎない。また、他人の当初配分所得が入っている財布に手を突っ込み、幾分かを抜き取る、というのである。その先に、どんな未来があるというのか。それを語る人はいない。
これを全否定する訳ではない。だが、盗人根性のようにみえる。盗人根性は、やがて盗癖に転化する魔性がある。弥縫策は、やがてまた綻びる。これでは、明るい未来は見通せない。
なぜ、こうした迷路に入ってしまったのか。
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それは、分配段階だけを見て、生産段階を見ないからである。生産段階での労働規制の野放図な緩和、搾取の強化など、当初の配分に格差があることの議論を禁忌にしているからである。
それを議論すると、配分を決めているのは、生産手段を絶対的に支配している生産手段の所有者であることが明らかになる。そして、その必然の結果であるが、彼らは政治の支配者でもある。だから、多くの評論家は、彼らの心中を忖度して、この議論を禁忌にしている。そうして昼行燈を灯し、惰眠を貪っている。学者さえも禁忌にしている。
ここに、市場原理主義が蔓延する原因がある。格差が拡大する原因がある。
格差を是正するには、この禁忌を打ち壊して自由になるしかない。市場原理主義という現代の資本主義を、生産段階の根本から見直して、社会主義・協同主義と社民主義・民社主義との間の激しい理論闘争があっていい。だが、ない。
(2023.06.12 JAcom から転載)