マルクスの資本論の解説書が、読書界でブームになっているようだ。だが、勝手読みが多い。自分の都合に合わせて勝手に解釈して読んでいる。
そこには、歴史観がない。そして、歴史の事実を無視する。だから、現状をその根底からは理解できない。だから、将来が見通せない。
資本論の根底にある歴史観は、エンゲルスとともに磨き上げた唯物史観である。解説書の著者は、この歴史観を理解していない。だから、資本論を理解できない。そして、自分勝手に曲解している。
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著者たちは、格差は解消すべきだ、という。そして、そのために、所得を再配分すべきだ、という。いまの経済構造には手を付けず、温存したままで、いったん配分したものを、そこに格差があるから分配し直せばいい、という。
著者たちは、格差解消の実現を情熱的に語っている。多くの人は、格差の解消に賛成するし、この情熱に敬意を払っているだろう。だが、この実現に至る論理に資本論を持ち出している。ここに疑問を持つ人は少なくない。マルクスやエンゲルスは、あの世で苦笑しているだろう。
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所得の再配分、という方法に問題がある。高所得者に重税を払わせることを考えているようだが、いったんポケットに入れたカネを制度的に、つまり暴力で他人が奪う、という方法に問題がある。
当初の配分に不都合があるから、その後に配分し直せばいいという、という誰もがうっかり納得しそうな単純な考えのようだ。だが、他人のポケットに手を突っ込むのだから、それを実行するのは、それほど容易なことではない。
そうではなくて、当初から、格差がないように配分すればいいのだ。そのように経済構造を変えればいいのだ。
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唯物史観によれば、所得の配分は、生産手段の所有権を持っている者が決めている。古今東西に例外はない。
資本主義は、私人が生産手段の所有権を持っている。だから、分配は私人が私利私欲で勝手に決める。だから、格差は必然である。
社会主義は、社会が所有権を持っている。だから、分配は社会が民主的に、平等に決める。だから、格差はない。
協同組合主義は、資本主義と同様に私人が所有権を持っている。だが、平等に持っている。だから、分配も平等で格差が生まれる余地はない。この点が資本主義とは、決定的に違う。
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生産手段の所有権を移動させることは、それほど容易でない。それを短期間で行うのが革命だが、ここには深刻な社会的混乱がつきまとう。
これを数年かけて行ったのが、我が国の農地改革である。そして、農協を作り、農協の先人たちが、我が国の民主化の基礎を築き上げ、強固なものにした。
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生産手段の所有権の移動といっても、それほど困難なことではない。
所有権とは、その物の絶対的な支配権と定義されている。だが、現実には、1か0か、という絶対的なものではない。多くの社会的な規制がある。生産手段の所有権者が、労働者を雇って何かを生産するときは、労働規制つまり、最低労賃制や非正規雇用の規制などがある。公害についての規制などもある。
これらの民主的規制を強化することで、所有権を薄めることができる。そうして、所有権者の所有権への執着を薄めることができる。
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だからといって、格差を解消するために、全ての生産手段の所有権を移動するのだろうか。
中国社会主義の回答は、こうである。主要な生産手段は私人の所有権を認めず、社会の所有にする。だが、主要でない生産手段は私人の所有を認める。
協同組合主義の回答は、こうである。生産手段の所有権を私人に認めるが、ただし平等にする。
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以上のように、格差を解消するには、小手先の改革では不充分で、理論家は、経済の基底になる生産構造の改変にまで及ぶことで、十全になることを認識すべきだろう。
資本論を素直に読めば、以上のように解釈できるのではないだろうか。
(2021.09.21)