北東亜細亜共同体論

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コロナ対策の日中間格差 (2021.07.16)

先週、中国共産党の創立100周年祝賀大会が、北京で行われた。TVの画像で、集まった人たちをみたら、誰もマスクをしていない。中国は、コロナを克服したのだろう。

日本や米国は、まだ克服していないし、英国は克服どころか、ガンマ株コロナの蔓延が新しく始まった。

なぜ、中国だけがコロナを克服できたのか。

そこには、国家体制の違いがある。民主主義の格差がある。

 

 

上の画像は、中国共産党の創立100周年になる7月1日に、北京の天安門広場で行われた集会の光景である(NHKのHP)。

よく見ると、マスクを着けている人は、誰もいない。隣の人との距離は1m以下である。

この画像は、中国がコロナを克服した証しだろう。

中国のコロナによる死者数を、人口100万人当たりでみると、先月末までの累計人数は、3.3人である(Our World in Data以下同じ)。最近はゼロの日が続いている。日本は桁違いに多く、117人である。

ちなみに、米国をみると、さらに1桁多く、1,827人である。

さて、国家の最大の責務は、国民の生命を守ることである。上の死者の数は、3国が、どれほど懸命にこの責務を果たしているか、を示している。この違いは、国民性の問題でもないし、政治指導者の個性の問題でもない。国家体制の問題である。

日本についていえば、コロナによる国民の生命の危機のなかで、五輪を強行しようとする国家体制の問題である。

日本は、コロナ禍を契機にして、国民の生命を軽視する国家体制を変革しなければならない。非常時での国家体制を構築するため、虚心坦懐に中国から学ばねばならない。米国は、反面教師にしかならない。

日本が、中国から学ぶべきことは何か。

何よりも、それは平時とは違う、非常時に即した社会・政治体制の迅速な構築である。それは、自助に依存する体制ではない。共助・公助が一体になった共助の体制である。かりに、私権を制約されても、指揮者の命令に従う体制である。

そして、その根底に真の民主主義がある。

農村共同体では、非常時、たとえば洪水のとき、どのように対処するか。

共同体に属する全員が出動する。そして、各人が持っている能力を最大限に発揮して、防御にあたる。そのさい、各人の能力が高いか低いかは問わない。土嚢積みの能力が高い人は、全力を傾けて土嚢を積む。炊き出しの能力が高い人は、全力で炊き出しをする。そうすれば、共同体の力は最大になる。

これは能力主義でもないし、成果主義でもない。各人が、これまで培ってきた能力を、最大限に発揮する努力をしたかどうか、という努力主義である。

また、所有者が誰の水田でも、無許可でも土嚢を積み上げる。それを拒否すれば、あとで共同体的制裁を受ける。

農村共同体では、こうした体制を構築する準備を、平時から行っている。そして、古くから永続している。

永続できてている理由は何か。それは、共同体の仲間への信頼である。ことに指揮者に対する絶大な信頼である。だから、共同体的制裁を発動することは、ほとんどない。

そして、この理由の根底に、徹底した民主主義がある。このような真の民主主義がなければ、共同体は成り立たない。そしてそれは、いまの日本や米英の「民主主義」からは遠く、協同組合主義に近い。

日本など、他の「民主主義国」が、中国に見習うことは多い。先日の天安門の光景は、そのことを物語っている。

(2021.07.05 ー 森島 賢)

 

以上は 農協協会 のホームページ(https://www.jacom.or.jp/column/2021/07/210705-52472.php)を 許しを得て 一部修正し転載したものである

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