格安のツァーが販売されるのを期して大迫訪問が企画され、肩のこらない11名のツァーを組み、遠足気分で大連を尋ねる。勿論単なる物見遊山ではない。農業経営と農協の状況にも関心を持っていた。問題は海外で困るのが言葉だが、幸い知人の中国人で日本に帰化され会社を持ち、大連にも工揚を経営する東方暁氏が現地に居られるので、一切を彼にお願いする。行程2泊3日であるから駆け足の旅である。楽しみにしていたアカシアは残念ながら花は散り葉アカシアになっていた。温暖化も影響しているのであろう。
私の中国のイメージは韓国よりも。親しみもつのだが、それは若い頃中国を舞台にした流行歌は暗記しているものもあるし、歌詞と伴奏があれば歌えるし、決して蔑視するような歌詞内容ではなかったから、寧ろ憧れていたのである、しかも以前は筆談も通じたから、親しみやすかった。今まで渡中したのは12回で内大連は3回になる。
大連の都市構造は洋風である中で日本的面影が残存している所は大連が最も多いのかも知れない。それは駅が上野駅と同じでその近くにある大和旅館(現大連賓館)や日本人街などもあり、北九州市とは姉妹都市を結び、浜海西路に掛る巨大な吊橋(北大橋の名が示す)ように北九州市が寄贈されたものという。
大迫は商業都市であるとともに学園都市でもあると思う。大連工業大学、大迫軽鉱業学園、了宇師範大学、大連交通大学、大連医科大学、東軟信息学院、大連理工大学、東北財経大学、大連軽工業学校、大運水産学院、大連海事大学等々で。しかも夫々のキャンパスは広大で校舎も巨大でホテルやスーパーなども設置されている。こうした未来を左右する若者の教育に惜しみなく力を入れる中国の未来を想像すると楽しみになるのではないか。
大連から一年ぶりの旅順にある東方暁氏の工場を見学するが、敷地も工場も綺麗に整備され、工場の製イ乍機も充実し、物品に強圧して特性を変える独特な研究と、発見の成功も近ずく気配を感じた。近くの農場を視察するが、個人経営ではなく、女性をトップにして近代化の施設農業に取り組んでいる。詳細は別稿で。
私の関心は農家の生活状況に集中した。彼女の家は門がありこじんまりと、、居間や寝室、台所も綺麗に整頓され驚きであった。万元戸まではいかないだろうが、それに近い生活レベルでないかと感心した。限られた時間で、言語不通で残念であった。
小型バスで大運市内の一部と星海公園を通る浜海西路を通り、旅順、水師営、203高地、等の古蹟も尋ねたが、結構暑くて203高地砲台までは数人であった。清国から、ロシア、そして日本に翻弄された大連、旅順は今中国として安定した豊かさを祈りながら大連を後にする。
2015/07/29 NPO中央区日中友好協会 会長 佐藤喜作