時は中国・戦国時代。中国は[戦国七雄]と呼ばれる七つの大国に支配されていました。
それぞれ「秦」、「楚」、「斉」、「燕」、「趙」、「魏」、「韓」と呼ばれ、戦争を繰り返していた。
物語は「秦」の国から始まります。
紀元前265年、当時の「秦」国の王である[昭襄王(しょうじょうおう)]は、「趙」国と休戦協定を結び、自分の孫息子である[子楚]を人質として「趙」国に送った。
ところが、[昭襄王]は協定をしばしば破って軍事攻撃をしかけていたことで、[子楚]は[趙]国ではいつ殺されてもおかしくない状況に陥ってしまった。
絶対絶命な状況下であったが、[子楚]はある人の助けにより無事ピンチを乗り越えることに成功。
裕福な商人である[呂不韋]は、たまたま[子楚]を目にして、「これ奇貨なり。居くべし。」とつぶやいた。
それから[呂不韋]は[子楚]に投資することにしたのです。お金を[子楚]に渡し、[趙]国の有力者たちに名を売ることを指導し、自身は[秦]国に入り、[子楚]の父である[安国君]の寵姫で、子供を持たない[華陽夫人]の元へ行った。お金の一部を彼女に渡し、[子楚]を自分の養子とし、[安国君]の跡継ぎとするよう口説いた。
[呂不韋]の思惑は見事に成功し、[子楚]は[安国君]の後継者となりました。
[呂不韋]には寵愛する一人の歌姫[趙姫]がいて、[趙姫]は[子楚]にとても気に入られたので、譲ってもらえないかと聞かれた。
[呂不韋]も[趙姫]のことをとても愛していたが、ここまできて[子楚]に嫌われたらすべての計画が水の泡になってしまうので、仕方なく[趙姫]を[子楚]に譲ったのでした。
そして[趙姫]は[子楚]の子を出産し、この名前を[政(せい)]と名付けた。この男児こそ、後に中国を統一する[始皇帝]である。
後継者となった[子楚]だったが、ある日突然事件が起きた。
秦の現国王である[昭襄王]がまた[趙]国に攻め入れ、ついにこれに耐えられなくなった[趙王]は、人質である[子楚]とその家族を皆殺しにしようとする。
慌てた[呂不韋]は城門の看守を買収し、[子楚]を[秦国]に返すことができたが、幼い[政]と[趙氏]は脱出させることができませんでした。
二人は[趙国]に残されてしまい、殺されることは免れたものの、[趙国]の人に毎日のようにいじめられ、地獄の日々を送っていた。
一方[秦国]では、[昭襄王]が亡くなり、[安国君]が即位したが、僅か1年で[安国君]も死去し、太子である[子楚]が王位に就き、[荘襄王]となった。[呂不韋]の野望が叶い、[秦国]の丞相となったのである。
[呂不韋]の助けにより、秦王となった[子楚]だったが、在位僅か三年でこの世を去りました。そして、まだ13歳の[政]が王位を継いだ。
しかし[政]が秦王となってまもなく、[魏][趙][韓][燕][楚]の五つの国が連合軍を組み、[秦]を攻めた。これは、[函谷関の戦い]とよばれた、歴史上でも有名な戦いである。連合軍のことは、[合縦軍]だといわれた。
まだ幼い[政]は、[王翦]という人に軍の支配権を任せ、[王翦]は見事に合縦軍を撃破。そのとき、国の政治は[呂不韋]が代わりの執行した。
[呂不韋]が莫大な権力を得ていたが、ひとつ問題を抱えていました。それは、かつて自分が愛していた女、そして今は[政]の母親にして[秦]国の太后となった[趙姫]はまだ[呂不韋]のことを忘れられず、二人は関係をもってしまった。
そしてこのことがもし発覚すれば地位はおろか命の危険すらあった。そこで、[]
続く。。。