米価高騰の主因は食糧安保政策の不在
米価の高騰が続いている。それを抑えるための、政府備蓄米の放出が、ようやく今日から始まる。
とはいっても、入札が始まるだけである。実際に米屋さんの店頭にそのコメが並ぶのは、今月下旬以後だという。
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あまりにも遅い、という批判がある。
異常な高騰が続いているのに、政府はこれまで無策だった。
その上、備蓄米は、やがて尽きるのだが、これから増産しようとしても、もう遅い。今年産の増産には、もう間に合わないだろう。
「苗半作」と言われている。苗の良し悪しで、作柄が半分決まるという意味である。増産しようとして、これから急いで作ろうとしても、もう遅い。あわてて作ったのでは、良い苗は作れない。それでは、豊作はのぞめない。
その前に種子が必要である。今年用の種子は、もう売り切れているだろう。今すぐに増産を決めても、今年は、もう間に合わない。来年まで待つしかない。来年、増産したコメが実際に市場に出回るのは、早くても早期米が出始める来年7月からだろう。
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備蓄米の放出量が、あまりにも少ない、という批判がある。
その量は15万トンで、全国民の消費量の僅か8日分にすぎない。9日目以後は、元の木阿弥に戻るだろう。それ以後は、相場師が暗躍する相場戦に戻るだろう。
そこは、ジャングルの掟が支配する世界である。報道によれば、ジャングルの中には、他国籍の辣腕の相場師もいるらしい。
「戦力の逐次投入」という、キナ臭い戦争用語がある。ジャングルでも通用する用語だろう。これは最悪の愚策で、戦力を投入するなら、15万トンなどと少しづつ投入するのではなく、一気に全力投入して、一気に敵を殲滅するのがいいという、忌まわしい戦争用語である。
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政府は、いったい本気で米価を抑える気があるのか。世間は疑っている。国民は怒っている。
政府は怠けているのか。そうではない。何のために米価の高騰を抑えるのか、それが定まっていないのである。
以下では、米価が高騰した主な原因は、大資本が主導する市場原理主義農政と、確固とした食糧安保政策の不在だ、という私見を、やや詳しく述べよう。
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米価を、生産者米価と消費者米価とに分けて考えよう。ここでは、生産者米価は、販売単価に各種の助成金単価を加えたものとする。つまり、生産者の実質的な手取り米価である。
農業者だけでなく、国民は、消費者米価は下げろ、と言っているが、生産者米価は下げるな、と言っている。
しかし、大資本が中心の財界は、消費者米価も下げろと言っているし、生産者米価も下げろと言っている。
つまり、国民と財界は、ともに消費者米価を下げろ、と言っている。この点では意見が同じである。
しかし、生産者米価については、意見が違う。国民は下げるな、と言っているが、財界は下げろ、と言っている。両者は、真向から対立している。
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なぜ、国民は、生産者米価は下げるな、と言っているのか。
理由は、市場原理に従って生産者米価が下がれば、生産者は生産を縮小する。小規模の生産者は、廃業に追い込まれるだろう。その結果、食糧自給率が下がり、食糧安保が危うくなる。だから反対している。
このように、国民は食糧安保が重要だ、と考えている。
これに対して、財界はなぜ生産者米価も下げろ、と言っているのか。
理由は、市場原理主義に基づいて、生産者米価と消費者米価は、市場では一致するのが市場原理だ。だから、それに従わねばならない、と考えている。生産者が赤字になれば、生産を縮小するが、それでいいのだ、と考えている。それが市場原理だ、と言う。市場原理は、決して犯してはならない至上の原理だ、と言う。
このように、財界には食糧安保の考えが、全くない。食糧自給率は下がってもいい。という考えである。このように考える財界の背後には、アメリカの影が見え隠れしているのだが、ここでは、それを指摘するだけにしておこう。
このように、食糧安保を重視するか、それとも無視するか、が国民と財界の意見の分かれ目である。
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では、政党はどうか。
政党は、農業者などの国民から、選挙のときの票が欲しい。
「サルは木から落ちてもサルだが、政治家は選挙に落ちたら只の人」と言われている。サルと同列にして恐縮だが、人の口は止められない。政治家は、どうしても選挙で勝ちたい。
しかし、国民は食糧安保を重視している。
財界からは、選挙で落ちないための政治献金がほしい。
しかし、財界は食糧安保を無視している。
このように、両者は食糧安保についての意見が、真向から対立しているので、政党は、両者の間で、板挟みになっている。
だから、政府は進退が窮って、備蓄米の放出に逡巡して、右往左往しているのである。
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ここで、あらためて言っておこう。日本は民主主義の国家である。政治を決める主権者は国民である。財界は、主権を持っていない。
政府は、主権者である国民から負託を受けているのだから、主権者である国民の、生産者米価は下げるな、という意見に忠実に従はねばならない。
主権者でない財界の意見は、主権者である国民の意見に反対なのだから、その意見に従ってはならない。つまり、生産者米価を下げてはならない。
そうしなければ、日本は民主主義国ではなくなってしまう。
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主権者である国民の意見に従って、消費者米価を下げて、生産者米価を下げなければ、そこに差額が出る。政治は、この差額をどうするか。
それは、主権者である国民の意見なのだから、政治を負託された政府が、責任を持って差額を補填しなければならない。
主権者にとって、食糧安保は、いかなる事態になっても、主権者の生命を守る政策である。だから、食糧安保は、政府にとって、主権者に負託された、主権者の生命を守るための、それ程までに重要な政策なのである。
つまり、生産者米価と消費者米価との間の差額は、政府が責任をもって補填しなければならない。
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この補填制度の構築は、政府の急務である。愚図愚図してはいられない。
3か月後には、参院選が待っている。最大野党の立憲党をはじめ、いくつかの野党は、補填制度の素案を持っている。
国会での、与野党の熟議を期待しよう。
. (2025.03.10 JAcom から加除修正して転載)