食糧安保の曲論を糺す(幻想のコメ輸出論)
食糧安保のためにコメを輸出する、という曲論が横行している。平時は輸出して儲け、非常時には輸出を禁止し、その分を国内へ供給する、という身勝手な政策である。そうすれば、食糧の安全保障になる、というのである。しかも、この政策を、食糧安保の主柱に据える、という。
ここには、身勝手というだけでなく、日本のコメは旨いから、価格が少しくらい高くても海外で売れる、という幻想がある。
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コメの輸出論は、40年前から一部の評論家と政治の中枢部が唱えてきた政策である。「攻めの農政」という元気な名前をつけて喧伝してきた政策である。ただし、カラ元気である。
この政策の成果は、どうだったか。40年のあいだ積み上げてきた成果はどうか。
昨年の輸出実績は、9万9千トンだった。生産量は791万1千トンだったから、その僅か1.3%である。消費量は823万5千トンだったから、僅か4日分でしかない。
これでも食糧安保の主柱というのか。目を覆いたくなるような、か細い柱ではないか。残念なことに、これがいまの日本の、貧弱な食糧安保政策の象徴なのである。
筆者は、コメの輸出を全面的に否定しているわけではない。
そうではなくて、コメの輸出を食糧安保政策の主柱にしていることを、厳しく糺したいのである。
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なぜ、日本の食糧安保政策としてのコメ輸出政策が、これほどまでに惨めな成果しかえられないのか。
それは、現実を見ない幻想を根拠にしているからである。つまり、日本のコメは旨いという幻想と、価格は少し高い程度だという幻想、この2つの幻想に惑わされているからである。
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はじめに、日本のコメは旨いかどうか、という点を検討しよう。
筆者が、そのように聞かれたら、世界中で一番旨い、と答えるだろう。日本人なら、ほとんどの人が、そのように答えるに違いない。
だが、世界中の多くの人たちは、そのように答えないだろう。つまり、日本人のコメにたいする味覚は、世界の中で偏っているのである。
このように、人びとの味覚は、それぞれの人が生まれ育った国の風土によって違っている。
世界の人たちは、どんな味覚を持っていて、どんなコメを食べているか。
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コメは東アジアの穀物である。その大部分が東アジアで生産され、東アジアで消費されている。
品種別の生産量をみると、インディカ種が約85%で、ジャポニカ種が約10%である。
日本で生産されているコメは、ほとんど全部がジャポニカ種である。日本以外の国で生産されている米は、大部分がインディカ種である。
この2つは、食味が全く違う。インディカ種は、粘り気がなく、パサパサしている。そして、強い香りがする。ジャポニカ種は、それと反対である。
どちらが旨いか、と考えるのは無意味である。日本人は、ジャポニカ種の方が旨いと思って、ジャポニカ種のコメを作って食べているし、日本人以外の人たちの大多数は、インディカ種の方が旨いと思って、インディカ種のコメを作って食べている。
このように、国際市場で、日本のコメは旨いと評価されている、という認識は幻想である。
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つぎに、日本のコメの価格はそれほど高くない、という幻想を考えよう。
コメの指標的な国際価格は、タイ国貿易取引委員会が発表している価格である。最近の価格をみると、精米1トンあたり604米ドルである。玄米60kg当たりに換算すると6、040円になる(1米ドル=150円、精米歩留まり=0.9)。
一方、日本のコメの最近の価格は、農水省発表によれば、玄米60kg当たり22、700円である。輸出するばあい、海上運賃と保険料が加算されるのだが、それを無視しても国際価格の3.8倍になる。
つまり、日本のコメはそれほど高くない、というのも幻想である。
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このように、日本のコメは旨いという認識と、価格は少し高い程度という認識は、世界のコメ市場では、2つとも幻想である。旨くもなく、高い価格のコメは、輸出できない。だから、コメ輸出論は幻想である。
この幻想に惑わされて、輸出量が少ないのは農業者と農協の怠慢だ、として説教を垂れる無知な評論家がいる。笑止千万である。だが、嗤ってばかりはいられない。
この幻想が、日本の食糧の安全保障を危うくしている。そうして、日本の針路を誤らせている。
食糧安保政策の王道は、コメの米粉化による輸入小麦の放逐であり、コメの飼料化による輸入穀物の追放である。そして、それらによる食糧自給率の飛躍的な向上である。
この王道に立ち塞がっているものは何か。それは、財界主導による市場原理主義農政であり、穀物輸出大国のアメリカに隷属する政治である。
. (2024.10.21 JAcom から転載)